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3月24日(木)1日目、震災より13日目 [Ishinomaki]

7時起床。
朝食を食べ、北へ向けて出発。
常磐道日立南太田ICから高速に乗る予定だったが、
その先で事故が発生しまさかの通行止。
開通した矢先に、支援物資が大量に運ばれているだろうに、通行止とは・・・。
トンネル内でのトラックの事故だそう。もしかして支援物資を運んでいたのかも知れない。
やむを得ず下道で次のICを目指す。
渋滞の中、日立中央ICまでたどり着くが、なんと今度は震度5の地震が発生してまた全線通行止めに・・・。
待っていてもいつ再開するかわからないので、常磐道をあきらめて下道で東北道を目指すことにした。
幸い東北道への道のりは空いていて、昼過ぎには福島県須賀川市に着き、東北道に乗ることができた。
東北道は80km規制であった。
自衛隊の車両、救急車や消防車の隊列、「支援物資運送中」の旗をかかげたトラックが目立つが、交通量は少ない。
路面はところどころ段差があるが、応急補修が済んでいて、100km/hで走行しても問題なかった。
福島を抜けるあたりで念のため給油をし、仙台北道路に分岐して仙台方向に向かう。
このあたりから自衛隊の車両が増え始め、かなり緊張感を感じた。
海沿いに出て、三陸道に入る料金所で、緊急車両以外通行禁止の規制がかかっていた。
しかし石巻市にボランティアに行きたいことを伝えると、すぐに通行許可証を発行してくれた。
ここまでくると路面の段差は増え、補修もされていないので50km/hでたまに徐行しながらの走行となる。

石巻ICを降り、初めて津波の被災地に入る。
そこは全く海の匂いが届かないような場所だったが、道路や建物は乾いた泥で覆われていた。
家屋倒壊はあまりないが、ほとんどのスーパー・飲食店・ガソリンスタンドは営業していない。
信号が止まっている市内を走り、災害ボランティアセンターが設置されている石巻専修大学にたどり着いたのは午後4時前。結局9時間のロング・ドライブになってしまった。
石巻社会福祉協議会が運営する災害ボランティアセンターで、新規ボランティアの登録を行った。
ボランティアの活動時間は9時~16時ということで、翌日から参加することに。

いちおうテントは持ってきたが、夜は氷点下になると聞き、車内で寝ることにした。
寝床の準備を終えるとあとは特にすることもないので、大学内を探索することにした。

大学内は大きく3つのサイトにわかれていることがわかった。
・災害ボランティアセンター
・日本赤十字社の医療サイト
・周辺住民の避難所

ボランティアセンターも範囲が広く、それぞれがどういったことをやってるのかが全くつかめない。
しかもみんなとても忙しく動いているので、聞くに聞けない。
そんななか、19時からボランティアのミーティングがあると聞き、とりあえず参加してみることにした。

大学のカフェテリアに100人程が集まって会議が始まった。
自分はわけもわからず隅のほうに座って聞いていたが、おぼろげに雰囲気がわかってきた。
この会議は「石巻支援NPO連絡会議」というもので、
石巻市社会福祉協議会と各NPO・NGO団体の調整会議のようだ。

そして、調整会議が必要とされる理由は、各団体間の連携がうまくとれていないから。
正直に書いてしまうが、リーダーシップを取るべき社会福祉協議会があまりの災害の大きさに対処しきれていない。
大手のNGO・NPOが主導権を握って動いているようだ。

これは社会福祉協議会で動くよりNPOと動いたほうが有効に時間を使えそうと思い、
ある著名なNPO”P”に近づいてみる。
ちょうどデータ処理が得意な人材を探しているということだったので、立候補。
翌日から作業を始めることにした。

会議が終わってから、たまたま自分と同じタイミングで石巻入りした一般ボランティア2人と出会う。
2人とも寝る場所が無いということで、自分のテントを急遽設営することにした。
こんな寒い夜にテントを設営するのは初めて。3人でどうにか張り終え、簡単な夕食をとり、就寝。
疲れているのですぐ寝付くかと思ったが、想像以上の寒さで寝ることができない。
この日の最低気温はマイナス6度。
真夏のキャンプも暑さがこたえるが、真冬のキャンプは更にきつかった。
浅い眠りが時折り強烈な寒さに破られる。
朝が来て太陽が差し始めるとテント内も暖かくなりほっとした。

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